1952年、羽田空港に米国人の機長ロバート・フレミングのミッチェルが来て、東京の町で「西田と言う男を探したい」といい、その住所の場所に行くが、邸宅は焼け落ちていて行方不明。彼と西田も戦時中は戦闘機乗りで、南方で空中戦になり、共に孤島に墜落して無人島で生きていたというのだ。
こんなことはあったのかなと思うが、後に三船敏郎とリー・マービンの共演の『太平洋の地獄』という映画もあったのだから、これに類した実話はあったのかもしれない。
脚本は菊島隆三なのだが、筋に偶然が多く、西田は上原謙で暴露新聞の編集長で、造船所を乗っ取る経済人、政治家、政界の黒幕等を暴くが、その悪人経済人の娘が久慈あさみで、上原と恋仲になる。
要はロミオとジュリエットだが、それをミッチェルが仲を取り持ってくれてハッピーエンドになる。
要は、この年のサンフランシスコ平和条約締結を目指して日米は友好を深めようという趣旨のように見えるが、監督の阿部豊の真意はどこにあったのだろうかと思う。
というのも、サイレント時代にハリウッド帰りで、ジャッキー・阿部と言われ、日本の監督で最初に自家用車を持った(無論、外車)と言われ、バタ臭い監督だったが、戦争が始まると戦意高揚映画に転向してしまう。そして、戦後も『戦艦大和』や『日本敗れず』で愛国心を鼓舞していたのだから。この日米友好は本心なのだろうかと思う。
もっとも、晩年は相当に落剝していたと丹波哲郎の本に書いてあったが、その意味では時代に翻弄された映画関係者の一人だったのだろう。
衛星劇場