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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『スターリンの葬送狂騒曲』

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最近見た映画で一番面白かった、ほとんど英国流のブラックユーモアだが。

1953年3月、モスクワのラジオ局のブースに電話がかかってくる。

聴いていたスターリンが、「演奏を聞きたいのでレコードを届けろ」というのだ。演奏は録音していなかったので、楽団員はもとより観客も集めて臨場感を作り出して再演しようとするが、女性ピアニストは嫌がる。だが、彼女も多額の演奏料を多く払うことで了承し、レコードができる。と、彼女は自分のメモをレコード袋に入れてしまう。

別壮にいたスターリンは、レコードから出てきたメモに驚愕する。家族全員を殺された女性ピアニストのメモには「独裁者、人殺し!」とあり、彼は卒倒して大音を立てて倒れてしまう。

だが、門衛は起こすことを禁じられていたので、何もせず、翌日の朝食を持ってきた女性が床に倒れているスターリンを発見する。

そこから、内務人民委員会でスターリンの腹心で大虐殺を主導したべリア、お追従で副書記長にしてもらっていたマレンコフ、それに対して対立していたフルシュチョフらの戦いが始まる。マレンコフといえば、新宿の流しでマレンコフというのがいたが、私は会ったことはない。

              

スターリンは、脳出血で右半身が動かなくなり、4日後に死ぬ。この医者が集められるところもお笑いで、優秀な医者はみな粛清したので、モスクワにいるのはやぶ医者ばかりだというのだ。

ここでは、マレンコフは無能で事態の進展に右往左往する男として描かれている。その他、ブルガーニン、ミコヤンなどよく聞いた連中が出てくる。エピソードは実際には、この映画のように同時に起きたものではないが、事態の推移は事実通りだろう。

私が高校生時代に過激派の運動にいたとき、よく言われていたスターリンの凄さに、

「彼はロシア共産党員2,500人分の本名、組織名、連絡方法を暗記していた」というのがあった。そうした実務能力が、ソ連共産党を多数の政敵を一人一人潰して権力を握った元だと言われた。だが、彼はそうした政治的能力だけではなく、クラシックの鑑賞にもみられるように、芸術や文化についても一家言のある男で、今では誤謬もしてされているが、彼には独自の「芸術論」や「言語論」の著作まである。

この葬式で大活躍するのが、後に書記長となるフルシュチョフで、モロトフらを説得し、ジューコフと赤軍の力でべリアを排除して権力を握ってしまう。

これを見て思うのは、当時のソ連、そして現在のロシアも、ヨーロッパではなくアジアだということだ。

そして、なんでこのように彼を人民が神のように崇拝していたのか、今見ると不思議に思うが、日本も現在から73年前までは天皇を現人神としていたのだから、アジアにはこうした権力者を神として崇める信仰があるのだと思う。

今もあるのは、北朝鮮だけだが、これもアジアの伝統であるといえる。

横浜シネマジャック


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