先日のドキュメンタリードラマ研究会の時、今野勉先生に、『遠くへ行きたい』や『天皇の世紀』で、非ドラマ的なテレビ番組を作っていた伊丹が、『お葬式』以後、なぜ普通の普通のドラマ創りになってしまったのか、直接お聞きした。
すると、伊丹はテレビの番組をやっていたが、彼はやはり父親のこと(伊丹万作)から、いつかは映画を作りたいと思っていた。
そして、偶然に作った『お葬式』がヒットし、高い評価を得た。
そこで、本当はやりたかったはずのドキュメンタリードラマ的な方法ではなく、普通のドラマ作りになってしまったのだろうとのことだった。
それは、映画は多くの人に見てもらわなければならず、普通の作り方になったのではないかと。テレビなら、『遠くへ行きたい』のように自分一人でできるものもあり、製作費も安くてできた。
また、一度当たると自然として、周辺にスタッフ、キャストが集まり、年に1回は製作せざるを得なくなったのではないかとのことだった。
ただ、なぜ自殺したかは自分には分からないし、宮本信子さんも分からないと言っているそうだ。
自殺の理由は、多くの場合本人にも不明なこともあるのだから。