日本の航空映画の傑作で阿部豊監督の東宝映画で『南海の花束』がある。これは南方空路を開く航空会社の男たちの苦闘を描く映画で、円谷英二の特撮も見られる。
この中で、飛行艇が離着陸する海は、横浜の根岸湾であり、その陸上には格納庫等の施設も少し見える。言うまでもなく、防諜の観点から全体を映していないのだが、そこは根岸の飛行場であったことは間違いない。
ここは、大日本航空の施設で、戦後は後継企業である国際航業の所有地になっていた。
そのことを知ったのは、港湾局管財課にいた時で、臨港地区の土地台帳を見た時だった。
都市計画上の規制には、いろいろあるが、中に「臨港地区規制」というものがあり、臨港地区では建物の使用用途に一定の規制がある。
そのために港湾局では、ある時に予算を使って臨港地区の土地の実情を調査して台帳にしていて、私は暇なときは好きで見ていた。
中で、中区根岸地区があり、元日本石油(現在のJXENEOS)の土地があるが、その中で磯子側の一部は、日石の土地ではなく、国際航業のものになっていた。「これは何だ」と思っていたが、後に航空測量の会社の国際航業が、元は大日本航空であったことを知って、その経緯が分かった。また、その場所には昔米軍の基地によくあったカマボコ型の倉庫があったが、これも戦後の米軍によって使用されていたことの結果だと思えた。
戦後、国際航業がどのような事業をやっていたかはよく知らないが、多分米軍の下で、航空測量等をやっていたのだろう。
そして、1960年代に横浜市が根岸湾を埋立てて日本石油に売却した後に、日石が一体として整備し、タンクローリーの駐車場としたのだと思う。
そしていつの間にか、カマボコ型の倉庫もなくなったが、底地は今はどこが所有しているのかは少々気になるところだが。