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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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京浜急行120年

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今日の午後、用があって京浜急行に乗ると、駅にカメラを構えた人がたくさんいる。

なぜかと思ったら、今年は京浜急行120周年で、イベントが行われ特別列車も走ったからだった。

京浜急行は、1899年に川崎大師と川崎駅付近を走った大師電気鉄道が始まりで、関東では一番に古い鉄道である。

その後、湘南電鉄等と統合されて現在の品川から浦賀、三崎口、新逗子等を結ぶものになった。

1933年に湘南電気鉄道が品川から浦賀に繋がったことの記念のような映画がある。

        

成瀬巳喜男監督のサイレント映画『君と別れて』である。蒲田の花柳界の芸者吉川満子の息子の磯野秋雄は、

「芸者の子、芸者の子!」といじめられて学校に行かなくなっている。

それを心配して若い芸者の水久保澄子は、休みの日に磯野を横浜の自分の家に連れていく。

これが湘南電鉄で、たった1両の路面電車である。蒲田から横浜を過ぎ、杉田あたりを経て金沢の小柴に着く。

車内には遠足の子供などが乗っている。水久保は言う、「私たちはなんてみられるでしょうね」

これはもちろんサイレントなので、字幕で表現される。

小柴は鄙びた漁港で、長い石段は今も同じである。漁港は非常に波が荒いが、これは今は八景島が「防波堤」になったためである。

二人は石段で弟に会う。突貫小僧、後の青木富男で、酒好きの父親のため酒を酒屋に買いに行ってきたころだった。

「姉ちゃん!」と叫んで、瓶を落として割ってしまったので、水久保は青木に金を渡して買いに行かせる。

その他、雑貨屋、駄菓子屋、もんじゃ焼き屋などがあり、昔の場末の町である。

父の河村粂吉は昼間から酒浸りで仕事もせず、水久保だけでは足らず、妹も芸者に売ろうとしていた。

妹だけは芸者にしまいと父に言うために来た水久保は、自分がさらに遠くに売られることで妹を守る。

最後、水久保は品川駅から北に旅立ってゆき、磯野と別れる。

昭和8年、すでに満州国ができた後なので、中国か満洲に売られていったことがわかる。

意外にも成瀬巳喜男は、時代の変化に敏感な監督だったのである。

 


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