小津、黒澤、溝口、成瀬を日本映画4大監督と呼ぶそうだが、次くらいに位置しているのは、五所平之助と豊田四郎だろうと私は思っている。
1958年に歌舞伎座で作られた映画『蛍火』も、期待通りに非常に良い作品だった。原作は織田作之助で、話は幕末の京都伏見の船宿の寺田屋で、坂本竜馬との交情で有名な「寺田屋お登勢」である。
百姓の家から嫁入りしたお登勢は、大家の寺田屋の嫁には相応しくないと義母三好栄子に苛められるが、怠け者の夫の伴淳三郎によく仕え、寺田屋を実質的に仕切る者になっていく。
伴淳が傑作で、部屋を掃除するのが趣味で、さらに素人義太夫に凝って、番付に載ったと喜んでいる始末。女師匠の高千穂ひづるとは当然にできている。
幕末の京都なので、薩摩藩同士の切りあいの寺田屋事件があり、坂本竜馬が長逗留し、娘のおりやう(若尾文子)と結婚するまでになる。
このおりょうも、実は本当の娘ではなく、旅人が面倒を見て来た孤児を貰って育てて来た者なのだ。
賢い妻と駄目な夫というのは、豊田四郎の名作『夫婦善哉』でも同じで、ここでも淡島千景は、優しいがよく気のつく女将をまさに当たり役で演じている。
こういうのを見ると、日本の普通の家庭では、その中心は夫ではなく妻であったことがよく分かる。
特に、戦中期から戦後は、日本の多くの家では夫は戦場に取られ、家の中心は母、妻だった。それが、戦後から現在に至る女性の社会的進出にもつながっていると言える。
最後、おりょうは竜馬と結婚して旅に出て、伴淳も高千穂と手を切って、子供を作ろうと言って円満になって終わる。
映画の上映に続き、元新国劇で辰巳柳太郎に師事し、劇団解散後は自分たち若手で劇団若獅子を作り、淡島千景と「お登勢」で共演したことのある笠原章と新潟大の羽鳥先生との対談。
中では、辰巳が「お登勢」で、淡島千景と共演し、その夫を演じたが、なんといっても辰巳なので、伴淳のような剽軽な男ではなく、井伊大老みたいだったには笑った。
淡島千景は、非常に真面目な方で、宝塚時代の成績表からなんでも取ってあり、遺族から寄贈されて早稲田の演劇博物館で今はリスト化しているのだそうだ。
彼女は、森繫との共演の『夫婦善哉』のような主役もきちんと演じたが、膨大に出た脇役でも、分を越えず、それでいて作品に味を加える役をこなしていたのは凄いと思う。
要は、脚本が、役が良く読めた頭の良い役者だったのだと思う。
個人的には、渋谷実監督の『もず』、川島雄三監督の『花影』が好きである。
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