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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」

同じ動脈乖離だが・・・

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五百旗頭真先生の死亡は、急性「大動脈乖離」で、これは石原裕次郎もやったことがあった。

               

実は、私も「動脈乖離」で倒れたのだが、心臓につながる大動脈乖離ではなく、右脳の大動脈乖離で、これは非常に珍しいものだそうだ。

もちろん、脳内で動脈乖離が起き、その結果右脳の一部で梗塞が起きたので、脳梗塞となったのである。

そのとき、「これは稀な症例とのことで、遺伝子等を調べるから」と血液を採取されて、研究に使用する許可を求められて、もちろん承諾したことがあった。

その結果、どのように医学的研究が進んだかは、知らないが。

唯一、私が医学の進歩に「貢献した」例である。


誕生日に思う

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今日、3月8日は、私の誕生日で、76歳になった。今朝、低気圧の影響で雪が降ったが、5歳ごろのときも、東京池上だったが、大雪が降って家の前の電線が切れて停電になっり、お誕生日の祝いができるか、本当に心配したこともあった。

              

さて、1947、1948、1950年生まれは、250万人もいたそうだが、去年の出生者数は、75万人だそうで、30%であり、人口減少社会である。

人口は、そのエリアの力の元で、明治維新で薩摩や長州が徳川幕府を倒したのも、幕末は農業等の改良で西日本の人口が増加していたとの説もある。

だが、人口に頼っていた社会はもう古いと思う。

人口等による経済成長のみに頼っている社会ではなく、経済的停滞でも豊かな生活をおくれる社会を目指すべきだと思うのである。

美しい花見の映画

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近年、桜の花が咲くのが早くなっているが、地球温暖化の性なのか。

花見が出てくる映画もいろいろあるが、私が一番好きなのは、川島雄三監督の『花影』である。

                    

この映画の最後の方で、複数の男との関係を経てきた銀座のクラブの女給池内淳子は、最初の男である池辺良と夜桜を見に行く。

そこは、青山墓地で、夜桜が美しいが、岡崎宏三と美術スタッフが作った人工の桜だったはずだ。

ここのシーンに来ると、一生に一度、こんなにきれいな女と夜桜を見たいなと思うのである。

                      

桜の映画と言えば

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桜の映画と言えば、鈴木清順の名作『けんかえれじい』で高橋英樹が、浅野順子と見に行く夜桜も大変に美しい。

           

浅野順子は、可愛いかった割に映画に出ていないと思っていたら、実は結構出ている。

それも大映京都の時代劇である。

浅野寿々子 1957.07.30 十七才の抵抗  日活  ... 可奈子の幼少時代 1958.11.15 赤胴鈴之助 黒雲谷の雷人  大映京都  ... しのぶ 1958.12.21 赤胴鈴之助 どくろ団退治  大映京都  ... しのぶ 1959.11.22 薄桜記  大映京都

市川雷蔵の代表作で、森一生の映画『薄桜記』で、堀部安兵衛の勝新太郎と婚姻を結ぶ少女が、浅野順子なのである。

当時は、まだ十代のはずだが、かわいかったので、わざわざ大映京都までよばれて演じたのだ。

本当に大橋巨泉に見込まれて結婚引退してまったのは、実に残念なことだったが。

『第三の男』のリメイクは

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『カサブランカ』のリメイクが日活の『夜霧よ今夜も有難う』なのは有名だが、『第三の男』もリイメイクされている。

                 

赤木圭一郎主演の『霧笛が俺を呼んでいる』で、共演は芦川いづみで、赤木が横浜に探しに来る旧友で、実は悪になっている男は、葉山良二なのだ。

また、赤木の妹として吉永小百合が出ていることも貴重である。舞台は、いうまでもなく横浜と横浜港であり、芦川は、港のキャバレーの歌手で、歌を唄うのだが、ここではなぜか吹替えになっている。

主題歌はもちろん赤木が歌うがこれが実に下手で参る。

監督は山崎徳次郎で、この人は言わば職人的な監督だが、かなり良い作品を作っているが、最後は笹川財団の金で捕鯨の映画を撮って失敗したようだ。

意外なのは、脚本が熊井敬であり、私はこの人は、新藤兼人と同様、脚本はすごいが、監督はどうかなあと思われる人である。

放送大学の野崎先生の映画の解説は素晴らしかったが、この赤木映画は、ご存じないようなので、ここに書いておく。

ウィーンについて

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映画『第三の男』の舞台は、オーストリアのウィーンで、ここは第二次世界大戦後は、複雑な状況にあった。

戦時中は、ドイツだったオーストリアは、東から侵攻してきたソ連軍によって占領されたが、イギリス、アメリカ、フランスによってウィーンは、分割統治されていた。その中で起きたのが、この映画の物語なのだ。

1990年、翌年に開催される「国連ピースメッセンジャー都市会議」への参加誘致に、日本のウィーン市代表部の方に聞いたことがあった。ソ連占領後は、複雑な経緯があったようだが、最後は中立国になった。

そこについては、「飲ませる、抱かせる、掴ませる」などの手を使ってのオーストリアの外交手法があったとのことだ。

さすがハプスブルグ家の伝統だと思った。

            

ウィーンは、今ももう一度行ってみたい都市である。

『赤いハンカチ』のラストシーン

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石原裕次郎、浅丘ルリ子の映画でベストと思われるのが、舛田利雄監督の『赤いハンカチ』である。

このラストシーン、裕次郎とルリ子が別れるシーンは、墓場のようなところだ。

昨日の『第三の男』を見て、これのラストシーンに類似しているなあと思った。

             

私は、こういうことを否定しているわけではなく、肯定している。

大衆文化では、引用はよくあることで、日本でいえば「本歌どり」であるのだから。

3月は、31日では終わらないんです・・・

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「3月は、31日ではなく、50日までありますから・・・」と聞いたのは、

1989年12月末に、パシフィコ横浜から横浜市総務局国際室に異動した時だった。

1989年度の国際室の調査事業で、2本も委託業者も決まっていないものがあり、

「指田課長、すぐに業者を決めて事業を始めてください!」と言われ、

驚いて、担当の荒木田百合さんに聞くと、

「各年度事業は、3月31日ではなく、5月31日までにできれば良いんです」と平然と返された。

その度胸には、大変に驚いたものだ。

              

正月になってから、2社の委託業者を決めて、いろいろバタバタと調査をやり、最後は、業者が持ってきた下手な作文を、ほとんど私が改作して5月上旬に無事「報告書」を作って終わった。

当時は、「出納閉鎖期間」というものがあり、各年度の事業は5月末に終了すればよいとなっていたのだ。

その後、すべてがPC化されたので、今はこんなことはできないのだろうが。

ともかく荒木田さんの度胸には驚いたものだ。


確定申告、終了

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夜、確定申告を終える。

         

去年は、3月15日に出したので、今年は非常に早いことになる。

今日の午前中に横浜南税務署に出しに行く。

職人芸の日本映画

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日本映画が、アカデミー賞で2本受賞したのは、喜ばしいが、どちらも技術的である。

日本映画の黒澤明、小林正樹、小津安二郎、溝口健二らも結局は職人的仕事の見事さに成立していたと思う。

だから、映画『オッペンハイマー』のような作品は出てこない。

日本にも興味深い人間はいた。

陸軍の石原莞爾など、最高ではないか。

                

満州事変を起こし、満州国を作ったが、東條英樹によって陸軍を追われる。

この数奇な運命を、幼い小澤征爾の目から描けば、と思うのだが。