「つまらない真実よりも、面白い嘘の方が良い」というのはエンターテインメントの世界では当たり前のことだが、向田邦子の作品についても、そう思う。
最初に感じたのは、『無名仮名人名簿』の「おばさん」を読んだ時だった。これは、向田が映画雑誌社に勤めていた時の話で、ビルの入口に靴磨きのおばさんがいた。
それを守衛のおじさんが嫌がって時には水をかけたりしていた。
ところが、向田は、ある日浅草で、その二人が仲睦まじく手を繋いで歩いているのを見たという。
だが、その翌日からも、おじさんはおばさんを前のように邪険に扱っていたという。
読んだとき、「これは作り話だ」と思った。ビルの入口に靴磨きのおばさんがいたこと、守衛のおじさんがいて、彼女を邪険に扱っていたことは本当だろう。
だが、その後の筋書きは、向田の創作、想像の産物だと思った。
この本で、高島も、小説として称賛すると同時に、これはエッセイではなく創作としている。
そこから彼は、向田の履歴を詳細に検討する。
彼女の父親は、高等小学校卒ではなく、東邦生命に入社して、大倉商業の夜間に通い、それなりの「学歴」を取得していたこと。
さらに、彼女の本に出てくる、戦前、戦後の向田家の暮らしぶりは、当時の日本の庶民生活ではなく、むしろかなり恵まれたレベルの過程だったこと。
そして、彼女は明確に書いていないが、父親は、私生児として生まれたように、その母親、向田からは祖母になる女性は、かなり奔放で自由な女性だったことなどである。
彼女の男性遍歴については、他の本に譲ってはっきりとは書いていないが、そう深く男性とはつきあったことがないのではとしている。
つまり、父親以外の男をあまりよく知らなかったことが、『寺内貫太郎一家』のように、自分の父親をモデルにしたような劇ばかりを書いたのだと結論付けている。
前の「おばさん」に戻れば、この話は、千葉泰樹監督の佳作『下町』を思わせる名作だと私も思う。