1959年の中平康の監督作品。脚本は新藤兼人で、無実の罪を負った婚約者小高雄二の冤罪を晴らすために努力する芦川いづみの姿を描くもの。
と言っても彼女は何もしないが、小高について「彼の無実を信じています、彼は人を殺す人じゃありません」と断言されれば、誰も信じるだろう。
事実、長岡の辣腕の弁護士芦田伸介も、「あなたは渡辺(小高雄二)の無実を信じているようだ」と簡単に弁護を引き受けてしまうのだから。
深川あたりで自動車修理工の小高は、3年間タバコ代も節約して中古ワゴン車を現金で買う。
そして、車を運転して武州、上州を過ぎ、三国峠から新潟に入る。翌日8時には新潟駅で、婚約者で看護婦の芦川いづみは、病院を辞めて小高を待っているのだ。
だが、ある小さな村で、いきなり車は止められて若い駐在警官の長門裕之に逮捕されてしまう。郵便局で人殺し事件が起きたというのだ。
局長を鉈で殺し、その脇で寝ていた妻の岸輝子に重傷を負わせたのだ。そこには、隣の部屋で寝ていた嫁の渡辺美佐子も駆けつけていた。
そこに町からベテラン刑事の西村晃が来て、「事件が起きたすぐの時に、被害者に面通しさせろ」と強引に主張し小高を郵便局に連行してきて、岸輝子の目の前に突き出す。すると岸は叫ぶ、
「この男が殺したんだ!」
小高はこの証言で犯人とされてしまい、村の入り口から橋のところまで、若い男を乗せたというが、刑事には相手にされず起訴されて裁判になってしまう。被害者の証言は絶対であるのだから。
事態の展開に驚く芦川だが、長岡の辣腕弁護士芦田伸介に弁護を依頼し、自分も長岡の食堂で働いて裁判を傍聴する。
一方、長門は密かに渡辺美佐子が好きだったのだが、家を離縁されて柏崎、そして佐渡に行くと、渡辺が、村の土木工事に来ていた神山繁と結婚したことを知る。
これに落胆した長門だが、同時に村の河川敷で、バックを掘り出した若い男を目撃し、バス、鉄道で逃走する男を東京まで追跡すると、男は上野でやくざに殺されてしまう。
男が持っていたのは、郵便局で盗まれた15万円で、この男が犯人だったのである。
間違いに驚愕する警察だが、清水将夫がやり直しを主張して、裁判はがぜん小高の有利になり、裁判長の提議で現場検証が行われる。
そして、犯行を再現すると、岸は、夫が襲われると恐怖で布団をかぶって鉈を避けたので、本当は犯人の顔を見ていないことがわかる。
また、渡辺美佐子は、隣部屋にいたのではなく、納屋で神山繁と情事に耽っていたこともわかる。
小高は、無罪放免されて、芦川を乗せて新潟を去る。村の道では思いっ切り警笛を鳴らして走り去る。
明らかに、今井正の冤罪映画『真昼の暗黒』を念頭に置いたもので、今井の演出を「下手くそ」と書いた中平らしい才気が漲る。
だが、ここで中平康が描いているのは、人権思想でも啓発でもなく、人間の弱さである。
この次の作品『密会』、あるいは前年の娯楽大作の『紅の翼』、さらに後の『あいつと私』といい、この時期中平康は、最高潮だった。
それは、1963年の『泥だらけの純情』の頃までで、『猟人日記』以後になると急速にダメになってしまうのだが。
次の鈴木清順の『散弾銃の男』は、数少ない二谷英明主演作で、野呂圭介、江幡高志、田中明夫らが悪役という珍品で、鈴木清順らしさは、まだ十分ではなく中途半端だった。
神保町シアター