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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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現代音楽と現代詩

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現代音楽と現代詩、どちらも「コンテンポラリー」が形容につくジャンルであり、私が高校生から大学の頃、一番興味を持っていたものである。

だが、1990年代以降、私はどちらにもほとんど興味がなくなった。

それは、多く表現が前衛的で、繊細な感性がないと感受できない作品群なので、年を取って私に感性がなくなった性であるかもしれない。

だが、シェーンベルクに始まる現代音楽も、エリオットやパウンドから始まる現代詩も、大きく見れば、20世紀になり社会が根本的に変化し、戦争と革命の時代となったことへの不安への表現だったと言えるだろう。

19世紀までの貴族的秩序の崩壊、大衆社会の出現、階級的闘争の激化等の中で、戦争と革命が次々に起こった。

その中での知識人の不安の表現だったと言えるだろう。

そして、それは二つの世界大戦、さらにその後の核戦争の恐怖と米ソの対立の中で、1990年代まで続いた。

だが、1989年のべルリンの壁の崩壊に続くソ連邦の解体は、アメリカとの直接的な対立の恐怖、不安をともかく表面的には解消させた。

その中で、現代音楽と現代詩が、存在の意義を失ったのも無理からぬことのように私は思う。


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