1956年に鶴田浩二と八千草薫の共演で作られた悲劇だが、筋が非常におかしい。
昭和20年春から始まり、予備学生つまり海軍に取られて特攻隊にされた鶴田、小林桂樹、佐原健二たち。
佐原は、すぐに中尉の加東大介と共に出撃して死ぬ。鶴田には恋人の八千草薫がいて、父は笠智衆、母は夏川静枝、妹は峰京子の上流家庭である。
この状況で、鶴田は結婚をためらっているが、八千草が懇願して結婚してしまうが、その場所がどこかよく分からいが、どうやら東京らしい。
特攻隊基地は、吉浦となっているが、ここがどこなのかよく分からない。
そして、ついに鶴田にも出撃命令が出て、飛んで行くが、事故で戻って来てしまう。
飛行長の清水一郎らからは、「腰抜け」と非難され、再度出撃することになる。
ここからが不思議で、その前夜に八千草の家に鶴田が来て、「明日8時に出撃する」というのだ。
普通、海軍機の特攻基地は、鹿屋など九州だったはずだが、東京にすぐ来られるのはどういうわけなのだろうか。
二人で一夜を過ごした翌日、鶴田はのんびりと電車に乗って基地に戻るが、途中で空襲に遭い、負傷し基地には行けず、東京の八千草の家に戻ってくる。
と、8時に出撃したと思いこんでいた八千草は、服毒自殺している。
それを見て、鶴田も拳銃で自殺する。
これが殉愛なの?
無理矢理に二人の自殺、心中を組み立てたようにしか見えない。監督の鈴木英夫は、かなりきちんとした作品を作る人だったので、この筋書きは非常に変だと思う。
この筋になった理由はただ一つ、脚本の沢村勉にあると思う。
彼の贖罪意識である。沢村は、映画評論家から脚本家になった人で、戦時中は『上海陸戦隊』『指導物語』『東洋の凱歌』など、戦意高揚映画を書いていた。
だから、この鶴田の八千草の死に殉じて自殺すると言う筋書は、沢村の自己処罰性であると思われる。
もう1本、『暁の脱走』も見たが、これも黒澤明の贖罪意識が窺える作品だった。
新文芸坐