『ドレッサー』が日本で初演されたのは、1981年で座長三津田健、付き人平幹二朗、座長夫人栗原小巻で上演されたそうだが、私は見ていない。
1988年に三國連太郎と加藤健一、渡辺えり子で上演され、アイリーンという若い女優は、その後スキャンダルで引退した高部知子だった。
これは、三国の数少ない高齢になってからの舞台だったが、なんとも嫌々芝居をやっているのがすごくて、非常に面白い劇だった。
2005年には、パルコ劇場で行われた鈴木秀勝演出、平幹二朗、西村雅彦、松田美由紀のも見たが、これほどひどい劇もないというものだった。
なぜか、理由は簡単で、平と西村の芝居が全く噛み合っていなくて、平幹二朗一人の芝居になっていたからである。
その上に、初舞台の松田美由紀の凄さ、高校演劇でもこれほど役を理解していない女優もいないだろうと思われるほどだった。
今回は、座長の橋爪功は問題ないが、相手役の大泉洋は平気なのか心配だったが、意外にも良い出来で橋爪を十分に尊重しつつ、演じていた。
橋爪はいつもの通りに上手いが、1幕目は少々元気すぎる気がしたが、超高齢化時代だが、同時に超元気な高齢者の時代の座長なのだろう。
座長夫人は秋山菜津子で問題なし、アイリーン役の平岩紙、さらに舞台監督は、初めは誰か分からなかったが銀粉蝶で、それぞれの分を弁えた演技。
銀粉蝶が、滑稽さを抑えての真面目な演技には驚くが、この人は普通の演技ができる女優なのだと見直した。
さらに共産党員で嫌われ者の役者オクセンビーの梶原善、人が良いだけの役者馬鹿のジェフリーの浅野和之も、各々点描的だが、幕内の世界を見せる。
このオクセンビーが共産党員と言うのが笑わせるが、戦争当時イギリスにも共産党員は非常に多く、特に知識人や芸術家には多数いたのだ。
映画『アラビアのローレンス』の脚本で有名なロバート・ボルトも、かなり近い立場にいたはずである。
良い戯曲をできる役者を配役し、きちんと演出すれば、面白い劇になるというきわめて当たり前のことができた芝居である。
この劇場は、劇を見る訓練のできていない知的であるらしい観客が多くて不快になる。
この日も、かなり背の高い若者が前の席で、首をずっと高く出すので、1幕目の前半はほとんど舞台上が見えなかった。
反応がない新国立劇場といい、上演中に帽子を平気で被っている客がいる世田谷パブリック・シアターと言い、今一番必要なのは、観客教育である。
世田谷パブリック・シアター