今週は日曜日は、統一地方選の投票日だが、全国で県会議員の無投票当選が増えたことが伝えられている。
当然というしか思えない。
以前、横浜市内のある区にいた時、Mさんという県会議長もやられることになる県会議員がおられた。
この方は、ほぼ毎日昼前に区役所に来られて、いろいろと仕事をこなした後に、午後県庁に行かれるのである。
われわれ区役所の職員は、Mさんのことを「5人目の市会議員」と呼んでいた。
横浜市のような政令指定都市では、県会議員の仕事はほとんどない。
1970年代は、「県会議員の仕事は、交通事故のもらい下げ、もみ消ししかない」と冗談に言われた。
だが、今や情報公開やコンプライアンスで、議員の力など行政に及ぶ時代ではないないので、本当に県会議員の仕事はないと思う。
もともと道府県は、明治時代に全国の市町村への国家意思の伝達のための機関として設置されたのである。
電話もろくにない時代、政府の指示・命令を全国に伝えるための媒介機関として作られたのだから、情報が発達した現在ではほとんど不要な機関なのである。
大阪の橋下徹が、府知事を辞めて、わざわざ市長になったのも、あまりにも府知事の業務が「閑職」で形式的だからだと思う。
アメリカで、昔クリント・イーストウッドが市長になったことがある。
アメリカの場合市長と議会の関係はいろいろな制度があるが、この市長は多分儀礼的な業務を務める市長職だと思う。
誤解されると困るが、ある意味で日本の天皇のような存在で、行政には口を挟まず、市を代表する行事を執行すると言った職務を務めるのだ。
石原慎太郎も、余計なことを言わなければ、東京と言う大都市を代表する人間として、儀礼的に見れば東京都知事にふさわしいととも言える。
その意味では、私は道府県を廃止して道州制にすることに賛成である。
今や、道府県制度を根本的に考えなおす時期が来ていることは、この無投票当選が明らかにしていると思う。