先日、永井荷風の『断腸亭日乗』を読んでいて、以下のような記述を発見した。
近頃ラヂオの放送に古川緑波という道化役者水戸黄門のことを演ぜし處、水戸の壮士等これを聞き黄門を辱しめたるものなりとて凶器をふところにして上京し、役者緑波を襲ひ、また放送局に至りて何やら不穏の談判をなせしと云う。銀座にて聞くところ
さっそく『ロッパ日記』の昭和12年3月にところを調べてみるが該当する記述がない。
実は、『ロッパ日記』には、女性関係など、問題のことは書いていないようで、このような事件も記述していないようだ。
そのことは、やはり永井荷風と古川ロッパとの差を感じずにはおられない。
言うまでもなく、『断腸亭日乗』の時の荷風は、大学等の職はなく、まったくの自由人の文学者だった。
だが、昭和に入り、日記に書かれている時のロッパは、有名な喜劇役者であり、東宝に専属し、ロッパ劇団の代表でもあった。
その意味で、ロッパは組織の人間であり、荷風のように、なんでも自由にものが言えるいんげんではなかったのだ。
荷風の持っていた態度の凄さを改めて感じた次第だ。