先日見た『大地の侍』では、伊藤久哉が演じた岩出山藩主伊達邦夷のことを皆が「お館さま」と呼んでいた。
家老の大友柳太郎のみならず、町の商人らも、そう呼んでいた。
「お館さま」は、戦国時代から武将のことを、そう呼んでいたようだが、この時代も同様だったのだ。
明治維新以後の近代社会で、「お館さま」と呼ばれて有名だった方がいる。
日本の近代史で三度首相になった近衛文麿の弟で、クラシック音楽、特に日本の交響楽団の発展に大変な功績のあった近衛秀麿である。
彼は、日本の交響楽団の父とでも言うべき人で、NHK交響楽団についても、本当は山田耕筰ではなく、近衛秀麿の功績とされるべきものだったようだ。
だが、やはり家柄の良さからくる鷹揚さと事務的能力の欠如から、山田耕筰のものとされてしまう。
もちろん、山田は、クラシックの公演のみならず、ラジオ、映画音楽、テレビなどでも積極的に活躍し、音楽を紹介するなど活躍したので、次第に非常に有名になったのだろう。美空ひばりとのレコードもあるなど、さすがというべきだろう。
今井正の映画『ここに泉あり』でも、東京から来た指揮者として映画に出てきてきちんと演技し、最後では指揮もしている。
戦時中は、軍服を着て活動し、そのことを戦後山根銀二から指摘され、批判された山田だが、戦後は、この映画のように「進歩的」陣営に属しているようなポーズをとっていたようだ。
その辺も、彼の方が時代への対応の仕方が非常に上手い。
要は、近衛秀麿の、特に戦後の不遇は、クラシツク音楽界における「貴族の退場」であり、日本の近代化に伴う民主化の結果だった。
今では、「お館さま」と呼ばれるような高貴な方は、天皇家とその近縁にしか存在しないに違いない。
家老の大友柳太郎のみならず、町の商人らも、そう呼んでいた。
「お館さま」は、戦国時代から武将のことを、そう呼んでいたようだが、この時代も同様だったのだ。
明治維新以後の近代社会で、「お館さま」と呼ばれて有名だった方がいる。
日本の近代史で三度首相になった近衛文麿の弟で、クラシック音楽、特に日本の交響楽団の発展に大変な功績のあった近衛秀麿である。
彼は、日本の交響楽団の父とでも言うべき人で、NHK交響楽団についても、本当は山田耕筰ではなく、近衛秀麿の功績とされるべきものだったようだ。
だが、やはり家柄の良さからくる鷹揚さと事務的能力の欠如から、山田耕筰のものとされてしまう。
もちろん、山田は、クラシックの公演のみならず、ラジオ、映画音楽、テレビなどでも積極的に活躍し、音楽を紹介するなど活躍したので、次第に非常に有名になったのだろう。美空ひばりとのレコードもあるなど、さすがというべきだろう。
今井正の映画『ここに泉あり』でも、東京から来た指揮者として映画に出てきてきちんと演技し、最後では指揮もしている。
戦時中は、軍服を着て活動し、そのことを戦後山根銀二から指摘され、批判された山田だが、戦後は、この映画のように「進歩的」陣営に属しているようなポーズをとっていたようだ。
その辺も、彼の方が時代への対応の仕方が非常に上手い。
要は、近衛秀麿の、特に戦後の不遇は、クラシツク音楽界における「貴族の退場」であり、日本の近代化に伴う民主化の結果だった。
今では、「お館さま」と呼ばれるような高貴な方は、天皇家とその近縁にしか存在しないに違いない。