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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『残されたもの、伝えられたこと』 矢崎泰久

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『話の特集』の社長で編集長だった矢崎泰久が、付き合いがあり、死んだ人たちを書いたもの。
私が、唯一実際に知っているのは、中村とうようさんだけだが、他の人間では、竹中労と若松孝二のところが面白い。
とうようさんのでは、特に知らないでいたこともないが、竹中労がガンになり、「アラブで死にたい」というので、「迷惑者をこの際送ってしまおう」と中村とうようさんの企画で「生前葬」として大宴会を開いた件は知らなかった。
竹中労が死んだ時に、とうようさんが『マガジン』に書いた彼に掛けられた迷惑事件の中でも書いていなかったように思う。
矢崎も賛同して、多くの人間を集め、持参金500万円を付けて、若松孝二のコネクションで、アラブの重信房子のもとに送り出した。
この頃、竹中の頭は坊主だったが、抗がん剤によるものでもあったのか。
だが、3ヶ月で竹中は日本に戻ってきてしまい、アラブでのことを週刊誌に書いたのには皆呆れる。

とうようさんも、竹中は死ぬまで日本共産党の隠れ党員だっただろうと書いていた。
この矢崎の記述でも、それはよくわかる。
有名な革新自由連合の結成にも竹中が大きく関わっていたのも、いわゆる「文化人」の情報の収集と考えれば納得が行く。
この本以外にも矢崎は書いているが、竹中労が何かを始めると、当初は非常にうまくいくが、途中で必ずおかしくなる。
要は、そこに集まってくる人間の情報や人脈を収集することが目的の日本共産党の戦術なのである。
まあそれも、少々古い共産党のインテリ、プチブル対策だと思うが。
若松孝二については、晩年にメジャーになり、傲岸不遜な態度になったことを批判しているが、彼はもともとヤクザ者であり、元に戻ったと考えられるのではないか。
矢崎泰久自身についても色々と批判はあるようだが、『話の特集』が1960年代以後のサブ・カルチャーの時代を切り開いたのは間違いない。
街から舎 

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