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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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若松映画2本

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もう早いもので、若松孝二が死んで3年になり、東中野ポレポレで特集が行われた。
ビデオ化されていない初期の2本を見る。
『続日本暴行暗黒史・暴虐魔』と『日本暴行暗黒史・復讐鬼』
どちらも、大ヒットした傑作『日本暴行暗黒史・異常者の血』の続きとして作られたもので、ヒット作だと、「あああれのような映画か」と客が想像しやすかったのだろうと思う。
『日本暴行暗黒史・異常者の血』は、私は1967年の夏に川崎スカラ座で、大島渚の『無理心中・日本の夏』との2本立てで見ている。
これは、明治100年にわたる異常者の血を描くというもので、当時の官製イベントの明治100年に対抗するものだった。

『復讐鬼』は、11人の女性を暴行して殺して死体を海岸の洞窟に閉じ込めていた異常者を描くもので、戦後すぐに起きた小平義平事件をヒントにしている。演じるのは、タコ坊主のような特異な風貌の山下治で、彼は後にピンク映画の監督もしたそうだが、亡くなられたようだ。
女性の裸が並べられるシーンになると、カラーになり、ピンク映画で有名だったパートカラー作品である。

『暴虐魔』は、戦前のこととらしく、村八分にされ、妹を村の青年に陵辱された兄の吉沢健が、次々と村人に復讐するもの。
吉沢の服装が次第に剥がれて、フンドシひとつになってゆく。
若松孝二の権力者への反抗、残虐趣味がよく出ている作品である。
吉沢は、横浜の伊勢佐木町の入口にあった中華料理店の「博雅亭」の息子で、磯子区洋光台に生まれ、市立金沢高校から明治大学を出て、先輩の唐十郎の状況劇場に入ってスターとして大活躍した。
その後、ピンク映画に出るようになり、劇団を辞めた。
1980年代は、全国の古民家を洗う仕事をしていたとのことだが、近年何をしているかは不明だが、ご健在のようだ。
若松映画は、当時のピンク映画では上々の部類だったが、今見ると相当に粗が見える、というものだろう。
ともかくパワーは凄かったと言えるだろう。

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