朝日新聞の朝刊に、前田美波里の「人生の贈り物」で、初舞台前後のことが書かれていた。
15歳で、東宝ミュージカル『ノーストリングス』のオーディションに合格して初舞台に立つ。
この時の公演を私の姉が見ていて、後に「すごく目だった」と資生堂のポスターで有名になった時に言っていた。
この三番目の姉は、高卒後自動車会社に入り、比較的早く社内結婚し、幸福な生活を送っていた。
昨年には夫を85歳で病気で亡くしたが、二人の子に囲まれて元気である。
さて、前田の話に戻ると、彼女はバレーは、3歳から習っていたのでなんなくできたが、ジャズ・ダンスはできず、そのシーンになると別の人が踊ったそうだ。
これはよくあることで、私も1988年に翌年にパシフィコ横浜で行われる「国連ピースメッセンジャー都市会議」の誘致に、オーストリアのウィーンに行き、業務終了後に国立歌劇場に、横浜市ハンブルク事務所の新井成一さんと見に行った。
演目は、リヒアルト・シュトラウスの歌劇『サロメ』だったが、主演の女性歌手は、問題のヨナカーンの首の周りを踊るシーンになると若い半裸の女性に代わった。プリマ・ドンナは、かなり太った方だったので、細身のダンサーに代わったのだ。
また、当時十代だが、前田美波里は大きかったので目立ち、他の舞台でも、それを理由に役に付けなかったこともあったそうだ。
ただ、主演女優が自分より目立つと不快感を現わす俳優はよくいるものである。
中山千夏も、東宝現代劇の『がめつい奴』のとき、芝居にのめり込んで舞台の前の方に進むと、後ろから三益愛子にスカートを引ッぱられたと書いている。
また、私の知り合いだったある女優も、ある小劇場公演に出た時、舞台稽古中に演出家から呼ばれた。
主演の吉田日出子が、
「あの子は、私よりも目立つので、この公演から外してほしいと言われた」で、実際に役を下されてしまったそうだ。
そのくらい自分に十分な自信がないと芝居の主役にはなれないものだと思う。