三村晴彦が、加藤泰を知らなかったことを書いたが、後に小説家となる小林久三も、都はるみを知らなかったと自分の本に書いている。
小林久三は、東北大を出て、松竹大船の助監督になり、何本かのシナリオを書き映画化された。
それが社内で評価されて、『アンコ椿は恋の花』の脚本を書けとの命令が来た。
だが、そのとき、小林久三は、都はるみを知らず、初めて彼女のレコードを買ったそうだ。
すごい、というしかないが、それが松竹大船の雰囲気だったようだ。
その映画の古さ、センスの悪さに反比例して、実は大船は、非常に高踏的なスタジオだったようだ。
小津安二郎の弟子だが、つまらないメロドラマばかりを撮った原研吉は、大変なオシャレで、女優並みの衣装替えで、現場に来るのが通常だったそうだ。そして、彼はフランス詩の研究家でもあり、詩人でもあったそうだ。
美術でも、川端康成原作の映画『古都』でも、室内に飾ってある絵が、パウル・クレーだった。
そのように、さりげなくインテリジェンスを示すというのが、江戸っ子スタジオの松竹大船だったのだろうか。