昔、BSの予告編特集で、司会の篠田正浩が、松竹と大映の母物映画を比較していた。
大映のは「演歌調」だが、松竹の木下恵介の『日本の悲劇』は、「母と子は絶対に和解できないこと」を描いていた、と言っていた。
この1959年の獅子文六原作の映画『広い天』は、一種の「母物」で、1945年、東京に住んでいた井川邦子と息子新太郎が離れ離れになり、本当は父親山内明の故郷の広島に息子だけ疎開させるものだった。
息子は、真藤孝行という子役で、当時松竹の映画に多数出ているが、江木俊夫みたいでかわいい子で、台詞が非常に良い。
だが、空襲で列車が止まり、乗客が避難するときに、新太郎は、疎開先の住所の紙を失くしくしてしまう。
仕方なく、偶然に前の座席にいた伊藤雄之助が、自分の四国の故郷に、新太郎を連れて行ってくれる。
四国の田舎の農家で、伊藤の兄の松本克平たちからは、いじめに近い扱いを新太郎は受ける。
伊藤は、本当は売れない彫刻家だが、木彫りで新太郎の姿を掘り、戦後東京の展覧会に出すと高い評価を受ける。
また、戦争から戻ってきた新太郎の父の山内明は、新聞記者で、彫刻の写真を家に持ち帰って井川に見せると、彼女は、すぐに新太郎だと直感して探す。
だが、その頃、新太郎は、四国から大阪への闇船に乗せられているというすれ違いが起きるが、伊藤の直感で、彼は美術館に来ているはずだとのことで、上野の美術館に伊藤雄之助、井川邦子、山内明が来て、再会のハッピーエンド。
かなりひねった母物だと思うが、実はこの映画のチーフ助監督は、篠田正浩だった。
彼は、当時の常で、予告編を担当したが、ラストシーンに、ベートーベンの『第九』の「歓喜のコーラス」を流し、試写では、大船撮影所中を『第九』が響いたのだそうだ。
衛星劇場