朝刊の広告に、東京工芸大学100年が出ていた。
小西六写真写真専門学校で始まった同大も、100年を迎えたのだ。
多くのアーチストが出ていると思うが、第一は、木下恵介だと思う。
当時から学歴偏重だった松竹では、大卒が条件だったので、木下も、入学して学歴としたのだ。
そして、彼は演出ではなく、撮影を担当していた。
その後、戦時中に映画『花咲く港』で監督デビューする。
戦後は、大活躍で、あの黒澤明の『七人の侍』よりも、『二十四の瞳』と『女の園』の方が上だったのだ、キネマ旬報のベストテンでは。
黒澤は、3位だったのだ。
私は、『二十四の瞳』は苦手な方になるが、『女の園』はすごいと思われ、これは大島渚の『日本の夜と霧』につながるものだと思う。
そして、木下恵介は、表現としては、かの小津安二郎につながるものだとも思う。
今日、黒澤明に比べて木下恵介は、忘れられた存在になっているようだが、私は大きく評価している人間の一人である。