1969年の日活映画で、製作は芸研プロで、後に日活が、石原プロや今村プロ、小林旭のアローエンタープライズ、武智鉄二の映画など以外で、外部の弱小プロに制作委託、あるいは資金導入をして映画を作った最初の方だと思う。
松原智恵子と伊東ゆかり、和田浩二とワイルド・ワンズでは、所詮は二流で、監督の斎藤耕一も適当なときがあるので、期待しないで見ていたが、意外にも面白かった。
理由は、阿部寿美子や松本染升と言った渋い役者が出ていたことにもある。
話は学園もので、松原と伊東が、愛栄学園という大学のマドンナで、和田浩二とワイルド・ワンズが男の学生連中。撮影現場は、東大駒場のように見えるが、助監督等に駒場出の連中がいたのだろうか。
松原は、世界中の男と文通、ペンフレンドをしていて、伊東は孤児院に住み込みでアルバイトしている。この辺が1960年代的である。
孤児院というのが民青的で嫌だが、子供が皆児童劇団の子役面で、これまた大いにいやになる。
二人のスケジュールを内緒で、男子学生に売るなどのくだらないくすぐりがあり、一応和田は、学生運動のリーダー的存在だが、その思想性が薄いと言っても始まらない。
その内に、松原のブラジルの富豪の息子のペンフレンドの中山仁が来日するというので、彼女は一応恋人の和田を、一時伊東の孤児院にあずかってもらい、横浜の大さん橋で中山と会う。
中山仁は、日本人離れした顔つきなので、これはぴったり。
ここに、松本染升が来て、本事に失敗したので、孤児院も閉鎖すると言ってくる。
そこで、松原と伊東が出る「募金コンサート」を計画し、男どもに券を売る。
最後、一時は中山は本当は富豪ではなく貧乏人だというバラしもあるが、それも嘘でやっぱり富豪の息子という落ちもある。
松原と和田が結ばれることを示唆し、伊東は「私だけが一人だ・・・」でエンド。
監督の斎藤は、ジャズマニアで音楽にも詳しく、伊東ゆかりの軽いボーカルを聴かせているのは、やはり音楽のセンスがいいなあと思えた。
チャンネルNECO