今日の朝日新聞の夕刊に、「男性性器のサイズ」についての悩みが出ていた。
少年のみならず、青年たちも「13センチ以下云々」で悩んでいるのだそうだ。
思い出すのは、大島渚が、1976年に本番映画『愛のコリーダ』を準備していたときの話だ。
男女の俳優を多数オーディションしたが、女性はほとんどなく、早い時期に松田英子に決まったそうだ。最初に言ったのは、なんと小山明子だそうで、これは本当にやる女優がいなかったら、だったそうだ。
だが、男優には、非常に苦労し、多くの男が、
「私のあそこは小さいので・・・」と出演辞退するのが多いのに驚いたそうだ。
「1にジャンアント馬場、2にデイック・ミネ、3,4がなくて5に馬」と言われたものだが。
その俳優を決めるのは本当に大変だったようで、プロデューサーの若松孝二からの推薦で、藤竜也に会うことになった。
大島渚は、ある夜、藤竜也と新宿を呑み廻り、深夜をすぎて、明け方になった。
ついに大島は、おそるおそる聞いたそうだ、
「ところで藤さんは出ていただけるのでしょうか」 藤は答えた、
「出ないのだったら、こんなにずっと付き合っているわけはないでしょう・・・」
思わず大島も、若松に電話して「バンザイ!」を言い合ったそうだ。
そして、映画『愛のコリーダ』は、大島渚の晩年では傑作になった。
しかも、これは本質的に女性映画であり、その意味では松竹大船的な作品だったと思う。
撮影所の伝統は、バカにならないものだ。