昭和以後、一般人で国葬になったのは、1943年の山本五十六と1967年の吉田茂だけで、吉田の時は、私も知っている。ニュースフィルムで見ると、山本の時は、全国民総て悲しむとされていたが、吉田の時はそうでもなかったように記憶しているが、一部のテレビが中継していた。
今回、反統一教会の青年によって銃撃されて死んだとき、ニュースが「新興宗教の・・・」と言っていたので、「創価学会の信者がやるはずもないのに・・・」と非常に不思議に思った。
国葬は、閣議で決めたそうだが、反対が60%だったそうで、思ったほど盛り上がらなかったように思う。
これで得したのは、自民党で、もしこの銃撃死がなければ、日本維新の会は、もっと議席を増やしたと思う。
こういう事件が起きた時は、安易な方に流れるもので、日本人は変化を嫌うのである。
この大島新の映画を見て、すぐに思い出したのは、父大島渚が作った『日本春歌考』である。
これは、一応劇映画だったのに、かなり即興的に撮られていて、2月11日の「紀元節法制化」が決まってから反対する映画を作るために、3か月で急遽作ったという作品なのだ。
知り合いの役者の方は、メークの人もいないので、撮影場所に酒を飲んで行き、顔が赤くなって見えるようにしたそうだ。
だが、荒木一郎のアイディアと彼の資質が良く生かされた、この作品は結構良かったと思う。
福田善之らの文化人も参加しているが、当時大島渚の周囲に多くの支持者がいたことを表している。
これも、国葬の実施が決まって、急に全国に撮影班を派遣したもので、北の札幌から福島、東京、奈良、大阪、広島、長崎、そして沖縄の辺野古で、普通の市民等にインタビューして構成されている。
強い賛成は、東京の武道館の人、奈良の現地の若者ぐらいで、多くは「優しそうで、偉い人だと思うが、やることはないじゃないの」という消極的反対が大多数にみえる。
東京の霞が関やロフトでは、佐高信、落合恵子、足立正生らが反対をぶち、私もそう思う。
だが、「反対しても、明日には忘れてしまう、そんなもの」との意見があったが、それは違うと思う。
1943年の時は、反対がいるはずもなく、1967年の吉田の時は、社会党や共産党の組織的な反対はなかったので、国民的反対運動はなかったと思う。
今回は、どこからの指令もなかったのに、東京や沖縄では、強い反対が示されたのは、民主主義である。
それにしても、辺野古の「土捨て」のダンプカーの異様な列は、本当に異常だと思う。
シネマジャック