昨日は、「1980年代テレビメモリーズ」を情報文化センターの放送ライブラリーに見に行く。
藤井青銅、内村宏幸、さらだたまこの3人の放送作家の話だが、結論から言えば、大したことなかった。
独自性はゼロ、ただの昔ばなしだった。
中で気になったのは、正月の箱根駅伝のテレビ中継のこと。
この日の3人は、あれを日本テレビの看板番組のように見なしていたが、これを最初に放送したのは、実は、当時は「番外局」と言われていた東京12チャンネルなのである。
ある年の12月末、横浜市役所を出て東京に帰ろうとすると、12チャンネル運動部デイレクターの若松さんがいた。
「なんですか」と聞くと
「正月の箱根駅伝の中継基地を市役所の屋上に作るための交渉に来たんです」とのこと。
このように、箱根駅伝を最初のテレビ中継したのは、当時「番外局」と言われていた12チャンネルだったのだ。
だが、多分当時は全国へのネットがなかったので、すぐにダメになったのだろうと思う。
あれも不思議な番組だが、見方を変えると、東京から川崎、横浜、そして湘南を見せる都市紹介の番組なのだと思う。
「あれの主人公は、ランナーではなく、ランナーの背景の都市である」
おそらく、地方の少年、少女は、東京への憧れをこれでいつもつのらせているのだろうと思う。
結構、罪作りな番組であると言える。
それよりも、外の日本大通りの人出がすごく、大変に結構なこと。
ベイスターズは、巨人に負けてしまうが、戸郷では仕方ない。
明日は、勝つだろうと思う。
友人と野毛に行くが、ここも若者でいっぱい。
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