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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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杭州への道

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たぶん、1991年の秋のことだと思うが、私は横浜市国際室にいて、中国上海市との翌年の交流事業の概要を協議するために、係長の茂木三四郎さんなどの、上海に行っていた。

この年は、私が国際室の課長としての最後の年になるのだが、これは事前協議で、3か月後の本格協議では、助役の馬場貞夫さんを代表とする協議団でも中国に行ったので、合計2回行ったのだが、これが私の中国行きの最後になっている。

さて、事前協議の項目が無事終了した日の夕方、我々(茂木さん、職員の日比野さん、そして横浜市国際交流協会の工藤さんの4人)は、上海の北停車場から列車で杭州へ向かった。

まず、停車場の周辺に屯している人の多さには驚くのだが、当時は特に地方から大都市に出稼ぎに出てくる人が多かったので、その人だろうと思ったが、なんとなく駅に屯している人も多いのだそうだ。

上海から杭州まで、約4時間くらいあったが、驚くのは、この間ずっと鉄道の周辺に農作業等をしている人がいることだった。

「本当に中国は人が多いのだなあ」と思ったものだ。

この列車内には食堂があり、ここで夕食を取ったのだが、非常に美味しかった。

そして、杭州に着き、ホテルに入った後、町の夜の市に出かけた。

昔の日本の夜店のようなもので、多数の店が出ていて非常に面白かった。

多かったのは、中国の国民党時代の物で、蒋介石の肖像の硬貨などがあり、本当かなと工藤さんに聞く。

横浜市の外郭の経済団体にもいて、中国に詳しい工藤さんからは、「まず偽物でしょうな」とのお答え。

まるで、落語の「義経の5歳の時のしゃれこうべ」である。

この時は、助役の馬場さんのような「偉い方」がいなかったので、伸び伸びと上海等で動けた日々だった。

               

この杭州は、「水の杭州」と言われ、水辺の風景が美しいところで、今回のアジア大会でも、その美しさが反映されることを望みたい。

 


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