全50作の1作目、1966年11月17日、蓮沼のヒカリ座で見た。
併映は、日活の野村孝監督の『やくざ非情史・長崎の顔』で、これは大体見たが、もう1本の東映の中川信夫監督の『お勝兇状旅』だったのだが、これほとんどは見ていない。
この日は、左翼過激派の「佐藤栄作訪米阻止闘争」が、蒲田から羽田空港周辺で行われたときで、彼らから蒲田の町を防衛する「蒲田自警団」が前日夜に町を警備をして、そのまま映画館で夜を過ごして寝ていた。
そうしたときに見た映画なので、日本共産党の「歌声民青」の山田洋治にもともと良い感じを持っていなかった私としては、あまり愉快いな感じでは見られなかったのだ。
約70年近く経って見てみると、渥美清が元気で太っているのに驚く。
「丈夫で長持ち」が彼のキャッチフレーズだったのだから、この頃は叩いても死なないという感じだったのだ。
脚本は、森崎東との共作で、寅次郎が持っている「暴力的」雰囲気は、森崎のものだと思う。
まだ、妹のさくらのことを、「BGをやっている」と言っている。すぐにOLに変わったのだが。
また、太宰久雄のたこ社長の工場の職員、職工とよんでいるが、どうやら工場へ住み込みのようである。
まだ、日本が貧しかった時代の匂いが諸所にある。
BS松竹東急