JFEスチールが、扇島の高炉の稼働を停止するそうだ。
1970年代、日本の新日本製鉄と日本鋼管は、この2社で、世界を分割し営業することを決めていたと聞いた。パシフィコ横浜に来ていた、日本鋼管の方からだった。
それは、「まるで大航海時代のスペインとポルトガルによる世界分割みたいだなあ」と思ったものだ。
実際に扇島工場に行ったのは、日本鋼管からの職員の出向を「来年もどうぞよろしく」とお願いに行った、パシフィコ横浜の総務部長時代のことだった。
なんで日本鋼管かと思うかもしれないが、当時の中曽根内閣の「民活」事業では、日本鋼管などの重工業会社からなる日本プロジェクト産業協議会が、大きな役割を果たしていたからだ。
民活会社への出資、職員派遣等を彼らが担っていたのである。
広大な敷地に立っている事務所棟に入ると、3階建ての内、当時すでに2階分しか使っていない状況だった。
「1960年代の事務所棟では、多くの職員で賑わっていたのだろうなあ」と思ったものだ。