1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾して、太平洋戦争は終わった。そして、連合国最高司令官としてダグラス・マッカーサーが、厚木飛行場にやってきた。
当初、アメリカは、太平洋の島々で「特攻攻撃」をやってきた日本人は、占領すれば大変な反発を受けるとして米軍20万人を日本に上陸させた。
だが、日本では、占領軍との衝突はほとんどなかった。その理由は、日本人は、天皇の命令によって戦争を始め、最後天皇の命令によって戦争を止めたからだ。
日本占領で、第一にすべきことは、日本の非軍事化で、陸海軍は解体された。
そして、最大の問題は、天皇への対処で、オーストラリア、そしてアメリカにも、何らかの形での天皇の処罰をすべきとの声があった。
だが、戦前に日本大使を10年務めた、ジョセフ・グルーはマッアカーサーにも進言した。
「天皇は、特に何をしているわけではないが、天皇はハチの巣の女王蜂であり、彼女がいなくなったら蜂の巣は解体し、日本は共産化するだろう。だから、天皇は残すべきだ」
この素晴らしい意見によって、アメリカは天皇を「東京裁判」にもかけず、むしろ日本国民と融和してゆく象徴としての役割を果たしてゆくことになる。
一方、マッアカーサーは、日本の改革を次々と実行してゆく。
婦人解放、民主化、労働組合活動の促進、大日本帝国憲法の改正、財閥解体、農地解放などで、一番大きかったもののは、農地解放である。
戦前、小作人として自己の農地を持たず農業に従事していた小作人は、労働運動と同じに農民運動によって反体制的運動の一つだった。だが、農地解放と自作農の創設は、農村部での保守政治の地盤を作り出すことになるのだ。
アジア等で、小作人と大土地所有の問題は存在しているが、日本のみが解決できたのだ。ただ、それには、明治時代以降に、農商務省の官僚、学者、政治家等によって行われてきた「農地解放」の議論があったから故にできたことなのだ。
このように、多くの戦後改革は、それまでに日本国内で検討されてきた結果があってのことだったのであり、世界の近代史で占領によって実施された様々な改革で唯一成功した例となったのである。
アフガニスタンやイラクでのアメリカの占領と改革の失敗と対照的である。
そして、マッアカーサーは、米大統領選挙に出馬するが、共和党の予備選挙で惨敗する。
彼は、その時側近に言った。「あの欧州戦で、へまばかりしていたアイゼンハワーに、なんで俺は負けたんだ」 その答えは「あなたは、太平洋戦で大勝利を収めたが、アイクの愛嬌には誰も勝てませんよ」