元東京12チャンネルのアナウンサーだった金子勝彦さんが亡くなられたそうだ。
彼と一緒に仕事をすることはなかったが、金子さんが放送していた『ダイヤモンド・サッカー』で大学時代アルバイトをしていたことがある。
それは、チームの得点を入れる仕事で、日曜日の朝、放送のときに映画で録画された試合の得点シーンで、スタジオの機械を使って得点を入れるとても楽な仕事だった。
試合は、イギリスの一部リーグの試合で、一時間30分のものを45分くらいに編集した画面に、金子さんと岡野俊一郎さんの解説が付いたビデオできていて、それを日曜日の朝に流すのだった。
今のように、サッカーの大人気の時代ではなく、まだマイナースポーツの時代だった。
東京12チャンネルというのは、元は駐留軍が使っていたチャンネルの12が返還されるというので、できたテレビ局で、いろんなところが応募したらしいが、結局日立系の科学財団に免許が下りた。
そこで、当初は科学技術振興財団テレビという不思議な名称で、会社の基礎の不安定だった。
私がアルバイトをしているときも、ストライキがあり、職員は就労しないので、管理職で放送するなんてこともあった。
その後、日経新聞がオーナーになって、テレビ東京として安定したようだが。
職員にはもちろん、新卒で入社した人もいたが、他社から転職してきた職員も多かった。
運動部の中村さんという、大変にやさしい係長さんは、元NHK大阪のアナウンサーで、舞台中継などを担当されていたそうだ。
金子さんも、どこかラジオ局のアナウンサーから転職してきた方だと思う。
日本のサッカーの興隆に貢献された方のご冥福をお祈りしたい。