木曜日は、佐藤先生の講座で、『真珠湾攻撃への道』を聞き、そこでは日本代表の野村吉三郎のヒアリングもあった。
それによれば、昭和天皇以下の近衛文麿などにも、三国同盟と日米友好は両立するとの楽観的な見通しがあった。
だが、最後に「ハル・ノート」が出て、特に中国からの撤兵を求められたとき、完全にデット・エンドになってしまったわけだ。
このとき、昭和天皇も、中国からの撤兵などできるはずもないとして、戦争に突入した。
この前に、近衛内閣がつぶれ、東條英樹を首相にすることを木戸幸一から言われたときの、天皇の言葉が極めて興味深い。
「虎穴にいらずんば虎児をえずだね」だが、これは何を意味するのだろうか。
普通に考えれば、陸軍という脅威があり、彼らから逃れるのは、その長を首相にすれば、御前会議の戦争への決定を変えられると思ったのだろうが、それは甘かったわけだ。
だが、最後のハル・ノートが出て、これを受諾したら、木戸ら側近はもとより、昭和天皇も、どこかの勢力に暗殺されただろうともそうぞうできる。
その意味では、天皇や側近にとって一番重要だったのは、自己保身だったとも考えられるのだろうか。