横浜市会で、議長、副議長が選ばれ、議長が自民党の瀬之間康浩議員に、副議長が公明党の福島直子議員になったそうだ。
そして、女性の副議長は、35年前の社会党の広瀬礼子さん以来だとのことだ。
広瀬礼子さんは、当時でも数少ない女性議員で、中区の広瀬さんと鶴見区の山口富美子さんだけだった。
社会党でも、その二人、自民党はゼロ、公明とでは南区に加藤文子さんという方がおられたが、党内事情で、1期で辞められた。
毎年の正月、社会党は各地で「旗開き」という新年会をやっていた。
ある年の保土ヶ谷区の会場で、国会、県会、市会の議員が順にあいさつしたが、そこで広瀬礼子さんは、
「私は、今年は年女でして・・・」と言うと、
大久保英太郎議長は、
「36歳か、そんなこと言わなくてもいいのに、・・・」と言った。
その後、広瀬さんは副議長になられたのだが、1991年の選挙で落ちて引退されたようだ。
独身で、山下町のマンションが住所だったが、ほとんど家におられないという噂だった。
落選後は、あまり目立った活動をされなかったようだが、今はどうされているのだろうか。
さて、瀬之間さんだが、これで横浜市会では、4組目の親子二代の議長である。
港北区の島村家、金沢区の相川家、瀬谷区の川口家、そして港南区の瀬之間家である。
4家とも大地主である。
日本の政治で、戦前の政友会は地主の党だったが、地方においても地域の名望家が自民党の基盤であることを表すものだと思う。