朝日新聞の神奈川版に、県立鶴見高校の卒業生として女優の小山明子が記述されていた。
彼女は、県鶴を出て、服装学院にいた時、学内のショーにでて、松竹にスカウトされて女優になる。
その後は、当時松竹の監督だった大島渚と結婚して映画を共に作るようになる。
彼女が大島と一緒に制作した映画で一番良かったのは、ATG作品の『少年』だったと思う。
これは、当り屋として、日本全国を縦断した一家を描いたものだが、主人公の少年が非常に良かった。
彼らと少年の孤独は、彼ら創造社の日本映画界での孤独を象徴するものだが、多くの人に支持されているという誇りが見えた。
また、この作品は大島渚の松竹での技術の蓄積も窺える作品だったと思う。
そして、この記事には一切書かれていなかったが、小山明子の叔父は、小山弘健という方で、非共産党マルクス主義者で有名だった。
どういう経緯で、日本共産党と決別したか知らないが、1960年代当時では、数少ない知識人の一人だった。
当時は、かなり有名だったが、今の記者は知らないのだなあと思った。