絶対に憶えていないだろうが、私は1983年夏頃、藤木幸夫氏に会ったことがある。
当時、私は横浜市港湾局振興課係長で、ポートセールス等を担当していた。
そのなかで、セールス団の構成員から労組代表を取りのぞこういう意見があり、その根回しに、労組役員と藤木氏ら港湾協会役員と話をしたのだ。前振興課長(当時は総務課長になっていた)の言われたとおりに、各氏を回って根回ししたのである。港湾の企業と労組との関係も不思議なもので、労組幹部は、退職した後には、一隻の艀の船主になるのだ。
よく分からないが、企業から労組役員への退職金のようなものだと私は思っている。
さて、こ映画は、横浜の山下ふ頭に、カジノを作る計画が自民党幹部から起きた時、藤木幸夫氏は、猛然と反対したが、その経緯を描くもので、非常に面白い。
ともかくノンフイクションだが、主人公として藤木幸夫氏は、大変魅力的である。
戦前に生まれた彼は、神奈川工業高校を経て、早稲田大学を出ている。
そして、映画には出てこないが、彼をモデルにした小説は、石原慎太郎の『青年の樹』で、裕次郎の主演で映画化されていて、監督の舛田利雄らしく大変にメリハリのついた映画になっている。
後に、三浦友和と壇ふみの主演で再映画化されてもいる。
たしか、裕次郎作品では、彼は横浜の港湾企業の社長の息子として生まれ、ドラマとしてはいろいろあるが、最後は大学を中退してしまうものだったと思う。
映画の終了後のトークでは、監督から、政府の方針に反して「ミナトにカジノは作らせない」と言い、市長選挙でも自民党候補に対立して平気だったのか、言われていた。
だが、それは現実を知らない発言だと思う。
なぜなら、かつて横浜の港湾業界、船内では、藤木企業の他、笹田組、田端家の関東港運が「港運ご3家」と言われていた。
だが、今では藤木企業の「一人勝ち」になっている。それは、藤木が、1970年代の港のコンテナ化の進展のとき、公的資金も借りて多数のコンテナ用のキャリアを保持するなど、コンテナ化に迅速に対応したからである。
そして、山下ふ頭などに藤木幸夫氏本人の姿が出てくるが、彼は藤木企業の社長ではなく会長で、息子の藤木幸太氏に譲っている。
そして、藤木幸夫氏自身は、港運協会役員やFMヨコハマの社長等の「きれいな」仕事を務めていて、藤木企業での現場の「汚れ仕事」等から足を洗っているからである。
まことに先見の明があったと言えるが、それには若いころからの読書等から来たものと思う。
長谷川伸の著作が贔屓というのは、大変にうれしいことである。
本牧で、少年野球チームをずっとやっていることは初めて知った。
シネマジャック