昨日は、都立小山台高校の2・3年組Aの集まりが行われた。
これは、昨年夏にT君が亡くなられたのを哀悼するものだった。
彼は、在学中はバレーボールで活躍した背の高い男で、A組で唯一、同級生のJさんと結婚したカップルなのだ。
様々な話が出たが、小山台での特徴として、いわゆる部活動を「班」ということで、これは現在もそうのようだ。
だから、運動部野球班とか、文化部演劇班というので、私は「まるで陸軍の内務班のようだ」と思ったものだ。
この班という呼称は、戦後も実は、多くあったもので、日本テレビでは、各部を音楽班とかドラマ班、報道班と言っていらしい。
さて、私が横浜市役所に入って初めて聞いた言葉に、「要綱」があった。
これは、飛鳥田市政のときの「要綱行政」ではなく、いろんな事業の名称に「要綱」を付けることだった。
それは、区役所でも同様で、「区民マラソン実施要綱」のように使われていた。
そして、この「要綱」は、軍隊の作戦の名称から来ていると分かったのは、後々のことだった。
「何々作戦実施要綱」のようなのだ。
途上国であった戦前の日本の社会では、軍隊は、先進的社会組織の重要な組織だったので、そこでの多くの事物が、一般の社会にも反映されていたのだと思う。