今度の本でも、早稲田の劇研で林裕通さんに会ったのが、最大の事件だったと書いた。
なにしろ、2浪して8年生だったのが、林さんだったのだから、本当に驚いた、なんと28歳だったのだから。
本当に、「こんな人がいるのか」と思ったものだ。
だが、昨日の夕方に林さんなど、劇研の先輩と話していて思い出したのは、私が劇研の部室に行って最初に話したのは、実は林さんではなく、堀内聡さんだったことだ。
彼は、言った、
「君は、非常に良い時に来ましたね、12月公演のスタッフ、キャストを決めるのですから」
1966年の9月のことである。
早稲田高等学院から、早稲田の政経に入られてきた、堀内聡さんは、当時劇研で最高の人気の演出家だった。
その年の春には、宮本研作の『ザ・パイロット』を演出し、12月の『白人へのブルース』も演出し、どちらも両方見た人からは、プロの「文学座と演劇座の公演よりも、劇研の方がパワーがあって良かった」とのことだった。
なにしろ、部員が50人以上いて、さらに公演当日は、他大学の連中も来ていて、大人数のパワーで押すというのが、当時の早稲田の学生劇団は、本当にすごかったのである。