月曜日は、稲門会伝統芸術鑑賞会で、野毛のにぎわい座に行く。
ここは、元は横浜中税務署があったところで、福田赳夫や佐藤一郎などの大蔵省のエリートが最初に赴任した名門税務署だった。
だが、私が横浜市に来た頃には、山下町に移転していて、ここは廃屋で、夜になると街娼が立つ有名な場所になっていた。
この隣に横浜ニュースという映画館があり、ここは東映のヤクザ映画やその他、アクション映画をやっていて、黒澤明の問題作『静かなる決闘』を見て、拙著『黒澤明の十字架』のヒントを得たのも、この館でだった。
その後、この元中税務署跡地は、再開発されて公団の住宅と店舗、そして横浜市が保有するにぎわい座になった。これは、高秀市長時代の数少ない文化芸術政策だと思う。
これが、出来たのには、故桂歌丸氏と高秀市長との関係があったと思う。
私は、悪いことではないと思うが、落語の寄席というのが、高秀市長の水準を表していると思う。
彼が亡くなられたとき、所有されていた「貴重な蔵書」の寄付の申し出があった。
だが、調べると普通の本で、特に貴重なものはなかった。
高秀さんは、悪い人ではなかったが、言ってみれば普通の人で、髙木文雄さんや細郷道一さんのような、最上級のエリート官僚ではなかったと私は思う。
戦前と戦後の「時代の差」と言えば、それまでだが。