みなとみらいのパシフィコ横浜の正式名称をご存じだろうか。
多分、ほとんどの方は、ご存じないに違いない。
正式な会社の名称は、㈱横浜国際平和会議場というのだ。
1987年に会社を作るとき、当時みなとみらいで会議場担当の岡本部長と宇野課長の原案は、
㈱横浜国際会議場だった。それを、当時の横浜市長細郷道一氏のところに持って行った。
すると、細郷市長は「この国際の後に、平和を入れなさい」と言った。
「ええ、平和を」と聞くと、
「君ね、国際平和は、人類共通の願いで、別の左翼が独占するものじゃないんだよ」と言い、
㈱横浜国際平和会議場の名で、登記もされたのだ。
だが、この名は長くて、電話で言っても長いし、「平和」と付くと「左翼の集会場ですか」とさえ言われた。
そこで、すぐに愛称、略称を作れとなり、私が担当した。
あるCI会社に依頼してやったが、彼らは最初、2000くらいの案を持ってきた。
そして、高木文雄社長等にヒアリングした。
最後、20案を作ったが、私は、そこに、パシフィック・コンベンション・センター、PCCを入れておいた。
それを彼らは、コンベンション・プラザ・ヨコハマし、パシフィコ横浜になったのだ。
今や、ウクライナへのロシアの侵攻や中国の台湾への攻撃の惧れを目にするとき、
故細郷道一横浜市長の先見の明には、感心せざるを得ないと思うのだ。