金曜日の朝日の夕刊に、森鴎外の意外な食の趣向のことがかかれていて、地元ではそれを再現した食事等が振る舞われていると出ていた。
彼が、大変な文豪で、秀才だったことは認める。
だが、本職の陸軍軍医総監として実績には、相当に疑問がある。
なぜなら、彼は、強固な「脚気、風土病説」の信者で、かの日露戦争で、最大の死者の原因を作り出したからである。
当時、世界的に、脚気の原因は解明されていなかった。
特に、欧州には脚気はいなかったので、「アジアの風土病だ」とする説が主流だったのだ。
さらに、鴎外は、ドイツで細菌学の権威のロベルト・コッホ博士に学んでいるので、いよいよ「脚気は細菌だろう」との説に傾いたのだ。
だが、今では誰でも知っているように、脚気はビタミンB1の不足から来るものである。
白米のみを食するとなってしまうもので、江戸時代から「江戸病(えどやまい)」と言われ、地方から江戸に来て、当時は最高の贅沢だった白米食をすると罹ってしまう病気だった。
それを帝国陸軍でも行なったので、日露戦争では、この脚気で約3万人の兵士が死んだのである。
一方、海軍は、イギリス帰りの高木軍医総監の下、多様な食事をさせたので、脚気はほとんど出なかった。
いずれにしても、陸軍に徴兵された若者達にとって、日々白米を食べられるのは、最高の贅沢と思われたので、それが脚気、死への道だとは少しも思わなかったのである。
森鴎外先生も、実に罪作りな人であったというわけだ。