フィルムセンターの初期カラー映画特集、今日はテクニカラーで撮られたという、日本・イタリア合作の『蝶々夫人』
言うまでもなく、プッチーニの名作オペラの映画化で、これは日頃、欧米の映画では日本のことが歪められて表現されているのは困ったことだと思っていた東和映画社長の川喜多長政の発想だそうだ。
彼も、戦前にドイツとの合作で、日本とドイツとはそれぞれ別の版を公開したアーノルド・ファンク監督の、国辱映画寸前の『新しき土』を作ったことはわすれているかのような口ぶりだが。
話は、原作のとおりでアメリカの海軍の軍艦が長崎に入港し、若い士官のピンカートンは、ゲイシャ屋に行き、若いマイコで美しい蝶々の八千草薫に会い、互いに好きあって結婚するが、彼は船で出て行ってしまう。
八千草は、このとき24歳だが、今とあまり変わっていないように見えるのはすごい。
3年後、待ちに待ったピンカートンが船で戻ってくるが、そこには新妻を同伴していた。
息子を父親たちの下で育てた方が良いと諦めた八千草は、自害して死ぬ、美しい悲劇である。
衣装、大道具等は日本で作って船で運んだそうで、画面におかしなところはなく、八千草の歌唱力もすごい。
私が八千草薫を見て、本当に可愛くてきれいだなと思ったのは、この9年後、1964年の市川雷蔵との『忍びの者・伊賀屋敷』だったが、本当にきれいだと思った。
先日行われた「宝塚100年記念式典」で、OGのトップは八千草だったが、本当はその上に92歳の月丘夢路がいる。
だが、月丘は宝塚を出た後は、松竹、日活と、宝塚や東宝とは縁のない道を歩んでいたので、八千草になったのだと思う。
夫人の召使の鈴木は、欧州で活躍された歌手の田中路子である。
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