昨日から甲子園で全国高校野球大会が始まった。
母校の都立小山台は、東東京の準決勝で、日体大荏原高校に負けたとのこと。
その荏原は、決勝で二松学舎高校に負けたのだ。
日体大荏原と言えば、桑田武である。
彼は、荏原高校から中央大学を出て、太洋ホエールズに入った。
そして、新人の1959年に、ホームランを31本打ち、これは今でも新人のホームラン記録である。
長嶋に匹敵する長距離打者として期待されたが、肥満体質だったのか、次第に肥満して足を痛め、さした記録を残さずに終わった。
私は、引退後の彼の姿を見たことがある。
横浜市会野球議員団の練習に現れたのだ。
さすがに大きく、すぐに分った。
当時、彼は鶴見区のボス・横山健一がやっている会社にいて、横浜駅東口の事務所に勤務していたようだ。
桑田は、もともと鶴見区の生まれなので、横山健一が世話をしたようだ。
桑田は、1991年に54歳で亡くなられたとのことだ。
また、日本体育大学の元の学校日本体育学校の創設に関わったのは、黒沢明の父親の黒沢勇氏である。
だから黒澤明は、当時日本体育学校があった東大井の職員住宅で生まれたのである。