1944年6月、連合軍は、対ドイツ戦で、フランスへの上陸作戦を計画している。
その時の、連合軍最高司令官アイゼンハワー(アイク)の作戦始動に至る経過を描く作品で、戦闘がまったくない戦争映画だが、非常に面白かった。
戦後、アメリカ大統領選挙で、アイクが共和党の候補になった時、自分がなりたかったダグラス・マッカーサーは、副官に聞いた。
「あんな戦功のまったくないアイクなんかが、なんで大統領候補になるんだ!」
すると副官は答えた、
「彼の愛嬌と微笑には、誰も勝てませんよ!」
ダグラスの言うとおり、アイクはほとんど戦闘での功績はなかった。
だが、イギリス、アメリカ、カナダ等の連合軍という名の多国籍軍を指揮する人間は、戦功ではなく、全体を纏めていく人間力だった。
それを見通していたイギリス首相のチャーチルとアメリカの大統領ルーズベルトの見方はすぐれていたことが分る。
戦歴で言えば、北アフリカ戦線で戦功をあげたモントゴメリーは最適だったが、その貴族的高踏性は、多国籍軍にまったく不向きだった。
戦車隊長パットンのような、戦闘だけの男もだめで、彼らを手玉に取って戦争へと向けるアイクが最適だったのだ。
イギリス国王のジョージ6世の前で、披露された戦争計画の「説明会」では、アイクはその手柄をモントゴメリーに譲って、彼は最高にご機嫌になる。
ただ、一人だけ駄目だったのは、フランスのド・ゴール将軍で、自分が最初にフランス解放のラジオ放送をすると言って聞かず、決裂してしまう。
最後、アイクが一番に気に掛けたのが、天気、気象状況で、1日延期し、嵐が少し弱まった6月6日をD・デイとする。
そのとき、彼はもっとも危険な空挺部隊に行き、若者たちに直に声を掛ける。
「君は、どこの州の出身なのかね」
口々に出身州を言って、みんな意気軒昂で飛び立ってゆくことになる。
多様な民族、人種、宗教、文化から成るアメリカでは、それぞれの州、地域に独自の文化があり、それを集合していくことが一番大事なのだが、これをアイクは良く知っていたのだ。
アイクが、大統領になっていた1950年代は、アメリカが一番良い時代だった。
それは、戦争に勝ったアメリカの力だったが、アイクの穏健な保守性にもあったのだと思える。
それは、「勝者の寛容」だったとも言える。
今の世界に一番欠けているところである。
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