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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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吉村公三郎の心情だろうか 『雨の鈴鹿川』

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『剣客商売』の『雨の鈴鹿川』を見ると監督が吉村公三郎だった。1973年なので、かなり晩年の作品である。

私は、以前、次のように書いた。

「桑野みゆき特集」、彼女の最後の出演作品。富裕な男(田村高広)と婚約していた上流階級の娘桑野が、女たらしのピアニスト細川俊之と一緒になり、身を持ち崩し最後は娼婦になる話。最後の作品としては最低。原作谷崎潤一郎、脚本新藤兼人、監督吉村公三郎。昔、見て「詰まらなかった」と思い込んでいた。だが、今回見て、一度も見ていないことが分かったが、やはりひどかった。多分、この時期の吉村公三郎作品として、川端康成原作で若い女の裸だけを売り物にした駄作『眠れる美女』があり、それと混同していたようだ。恐らく、予告編を見て、その時に「ひどい」と思い、見なかったのだろう。
表現のセンスが信じられないくらい古い。桑野と田村がセックスするシーンでは、ミミズのカットが挿入される。ミミズ千匹か。同様に水中に墨汁が広がる映像、薔薇の花が開くカットで、性的恍惚感を表現している。ほとんど、お笑い的比喩。吉村は、昭和20年代は、現代の風俗を描く鬼才監督として多くの名作を残したが、この頃は完全に時代とズレていたようだ。音楽が、近代映画協会映画ではいつもの林光ではなく、大映作品の多い池野成。田村と桑野が隅田川を歩むシーンに流れるのが、『陸軍中野学校・開戦前夜』と同じ旋律なのがおかしい。

                       

 

『雨の鈴鹿川』は、旅に出た加藤剛が、先輩の御木本伸介に会う。そして、鮎川いづみの亡夫の仇討ちに義弟と来ているのだが、実は仇の田浦正美と鮎川は元々は恋仲だったのを引き裂かれたこと。

鮎川の元夫の行状などいろいろあるが、田浦側に付いている御木本の腕が落ちている。

京に逃げる田浦側は、鈴鹿で見つけられて斬り会いになり、御木本は深手を負う。そして、御木本はそれを自覚して、今後は平静に生きていくことにする。

まるで、当時の吉村公三郎みたいではないか。

戦後、松竹で『安城家の舞踏会』などで、邦画をリードしてきた。だが、この1960年代後半は不振で、上記のようなお笑い的な作品を作っていた。

近代映画協会の盟友の新藤兼人のライターとしてはもとより、監督としての評価も上になりつつあった。

そこを自覚しつつあった状況のように見えた。

 


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