1960年4月の松竹映画、冬季オリンピック、スキーのアルペン競技の金メダリストのトニー・ザイラーを迎えて作った作品。
トニーは、スキー選手の後にドイツの映画に出て成功していた上、彼が歌った『白銀は招くよ』も日本でもヒットしていた。
映画は、オーストリアの冬山で雪崩事故があり、その責任を感じて、トニーは、旅に出る。
なぜ、日本に来たのかは説明がないが、貨物船でトニーは働いていて、同僚の南原宏治と一緒に東京に来る。
スキー用品店に来て、鰐淵晴子と会う。鰐淵は、ドイツとのハーフなので、流ちょうなドイツ語で、映画の筋を進行させる。
トニーは、本人であることを隠していて、トニー・ベートーベンと名乗るが、この名前が凄い。
彼らは、南原の故郷の白馬に行くが、南原の父笠智衆は、寺の住職で村の名士で、三井弘治は、山小屋をやっていて救助隊の隊長でもある。
南原の妹は、学校の先生で、富士栄清子という女優で、きれいだが他で見たことがない。
大学生の鰐淵は、冬休みで故郷に戻ってきていて、当然にも富士栄らと共に、トニーに惚れてしまう。
このように、合作映画では、常に地元の女性と異国から来た男が恋仲になる。
昔の長谷川一夫映画では、中国や満州の女性に惚れられるのだが、ここでは欧州の男に、日本人女性たちが恋することになる。
後に、ルノ・ベルレーの1972年の東宝の映画『恋の夏』では、野際陽子は言う「日本の女の子は、どうして外国の男に弱いのかしら」と。その1年前にも、彼は日本に来て、浅丘ルリ子トの映画『愛、ふたたび』にも出ている。
さて、1960年当時のスキー熱は大変なもので、1861年には、石原裕次郎が志賀高原でスキー事故に会って足の骨を骨折している。
私の9歳上の大学生の兄も、スキーで蔵王に行った帰りに、列車の中で、松竹のアコーディオン奏者だった村上茂子さんと知合い、彼女の楽器運びのアルバイトをして、大船撮影所に出入りすることになる。
当時、兄は、まったく知らなかったそうだが、村上さんは、小津安二郎の愛人だったのだ。
1960年の夏頃だと思うが、村上さんは、東京池上の私の実家に来たことがある。
小柄で洋装だったが、どこか威厳があったように記憶している。
映画は、最後に当然ながら、ザイラーと富士栄が恋仲になったことで終わる。
村人との宴会で、鰐淵が踊るが、伴奏のレコードは、電気だが、小型卓上蓄音器の演奏である。
さすがにラッパ管式蓄音器ではなかったのは、さすが。
衛星劇場