早稲田の中野校で、中川祐介さんの「歌謡曲という文化 1970年代」の1回目、阿久悠登場に行く。
雨の中で、中野駅から随分と遠いのに驚く。
以前、新人監督映画祭が、ここで行なわれたが、そこは駅近くのキリンビールのビルで、そこから明大、平成大を過ぎたところで、15分遅れてしまった。
阿久悠は、書くこともないが、大卒後、高校代理店に入り、コリーライターから放送作家になり、作詞もするようになる。
最初のヒットが、モップスの『朝まで待てない』であったことは注目される。
要は、洋楽的であり、演歌ではないのだ。
数多くのヒット曲があるが、興味深いのは、美空ひばりと山口百恵には書いていない。
1973年に彼が、自分でベストテンを選定していて、
1位が、北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」 で、これは本当に凄い曲で、作曲が村井邦彦であることをあらためて知った。
6位に 黛ジュンの「とても不孝な朝が来た」 も非常に良い曲だったが、これも作曲は中村泰士と、どちらかと言えば、洋楽系の人なのだった。
終わった後に、中川先生に、「詩先行なのか、曲先行なのか」をお聞きするが、
「基本的には詩先行だったので、80年代の曲先行になると書けなくなっていく」とのこと。
1970年代に阿久悠が、歌謡曲の頂点を極めて、その後にニューミュージックと演歌が出てきたと私には感じられた。