1955年の大映映画、監督は言うまでもなく溝口健二、主演の平清盛は市川雷蔵、父忠盛は大矢市次郎、母親は木暮實千代だが、他にも良い役者が揃っている。
この映画は、失敗作とされているが、娯楽作として見れば、実に面白く、私は好きである。
出てくるエキストラの人数は凄いと言うしかない。
特に、祇園祭の大群衆の踊り、ここはクレーンからクレーンにカメラの宮川一夫が乗り移って撮影したとのこと。パリで公開された時、
「こんな撮影方法はありえない」としてゴダールが上映室に飛び込んでフィルムを点検したと言われている。
だが、現在のフィルムではオーバーラップになっているのは残念。
清盛の嫁となる藤原時子は久我美子、その父藤原時信は石黒達也で、この人はタイトルのナレーションもやっている。悪役が多い人だが、私の贔屓の役者である。
早坂文雄の音楽も荘重で良い。
最後、比叡山の僧兵等が押し込んで来るところのエキストラの数、数。
この数のエキストラの衣装と鬘を用意するだけで、今では1本の映画ができそうだ。
沢村国太郎や杉山昌佐久、荒木忍らの悪僧顔も良い。
平家に対立する公家は、左大臣は千田是也、関白は十朱久雄。
これは、公開時当たって、こと年の興業成績の4位になっている。
最後、木暮が公家と野原で戯れているのを雷蔵が見て、
「母はこれで良いのだ、元に戻ったのだ」という。
ここには、戦後の日本の女性に多くあった「転落」も意味していると私は思うのだ。