1956年のハリウッド映画、主演のエイハブ船長はグレゴリー・ペック。監督は、ジョン・ヒューストン。
原作は、言うまでもなくハーマン・メルビルの『モービー・デッイク』で、これは読んだことはないが、彼の『ベニト・セレイノー』は原文で読んだことがある。
勿論、大学の授業であり、東大の北川悌二先生の授業で、大変だったが非常に面白かった。
北川先生は、チャールズ・ディケンズの翻訳で有名な先生である。
アメリカ東海岸の港町に主人公イシュメルがきて、捕鯨船に乗る。
船室の相棒は、銛打ちで、先住民・インディアンの男、全身の刺青がすごい。
船長は、片足を白鯨に取られて、その復讐に燃えているエイハブ。
船は、大西洋を渡り、喜望峰からインド洋に出て、スルー海峡から、南太平洋に出る。
鯨の大群に遭遇すると、そこに白鯨のモービー・デッイクもいる。
彼は、巨体で大きな潮を吹き、潜ったり、浮上したりして海を堂々と泳いで行く。
船長は、追跡を命じ、白鯨を捉えれば、利益の全部を乗組員に分配すると叫び、船員は大喜びして白鯨を追う。
そして、ついに見つけ、ボートの乗ってさらに追い、槍を次々と投げて刺す。
船長も槍を刺すと鯨に飛び乗り、背中に腹ばいになる。
刺した槍についているロープに船長は括り付けれて鯨と共に洋上を行くことになる。
そして、最後、白鯨は沈んで行き、船長の姿もなくなる。
たった一人、主人公は助かり、この始末を語ることになる。
白鯨との戦いだが、現代では絶対にできない映画だ。
1956年には、まだ反捕鯨運動は大きくなかったからだ。
近代で一番捕鯨をしたのは実はアメリカだった。ただ、日本のように食用ではなく、鯨油の元としてだった。
17世紀以降の西欧の産業革命で、機械油が大量に必要となったが、当時はまだ石油は開発されておらず、機械油は菜種等の植物油だった。
そこでは少ないので目を付けられたのが鯨の脂だった。
そこで、大西洋、さらに太平洋での捕鯨が盛んになり、アメリカ海軍のペリー提督が、日本に開港と開国を要求してきたのも、この捕鯨船への薪、石炭、水等の補給が最大の目的だったのだ。
日本沿岸は、鯨のよい漁場で、東京の北品川には、立派な鯨塚があるほどだ。
人の行為のものすごさ、そして虚しさを描いている作品で、さらに今日では到底作れないという意味でも凄い映画だと言えるだろう。