ジャンガリアンとは、なにか。
一瞬、洋物の翻訳劇かと思うが、文学座の新作の和物、大阪のどこかの町の話であり、これを見て最初に思ったのは、日本維新の会の人は、どう思っただろうかである。
世界に冠たる文楽の補助金を削った文化音痴の橋下の党なので、見るはずもないだろうが。
この文楽への補助金削減だけでも、橋下と維新は、万死に値すると思う。
大阪のどこかの町に、老舗のトンカツ屋があり、老齢の男がやっていたが、その死で、孫の琢己・林田一高が、祖父の死の生命保険金で店を新しくしようとしているところ。
彼の父昇・たかお鷹は、祖父の娘幸子・吉野由志子とは別れて、同じ町内で小料理屋をやっていて、町内会会長でもある。
作は横山拓也で、演出は松本祐子、横山は大阪府出身の人で、全編が大阪弁である。
店を閉じようとする最終日から始まる。最後で始まる劇は多く、チェーホフの『桜の園』も、そうだったと思う。
さて、ジャンガリアンとはなこれはこれはウイグル地方に生息するハムスターの一種で、店が老朽化していい手、ネズミが出ると言うので、その対策にハムスターを飼えば、群れを持つネズミは嫌って逃げると言われたからである。
ネズミ、犬などは群れを作り、他種を排除して生息するが、本来ヒトは、他種を排除しないので、地球上に大繁殖したのだ。
自分と異なる者、他種をやたらに排除する維新や小池百合子は、ヒトではなく動物に近いと言うことだろう。
この夜、琢己が脳梗塞で倒れてしまう。
そして、ジャンガリアンを持って来た(一頭1000円で売っているのだが)モンゴル人の留学生フンビシを店で店員として雇用できるかが、ドラマになり、琢己はなぜか強く反対する。
商店街の祭に留学生らが出店を出し、そこで豚の丸焼きを売ったことで、さらに町の人の反感も起きる。
豚等を丸焼きにするのは、モンゴルのみならず韓国やアラブにもあり、狩猟民族の習慣だが、確かに豚の頭を見ると最初は驚く。農耕民との習慣の違いだろう。
古くからいたコックが実は在日だったが、なにも言わずに祖父は雇ってくれたことなどがあり、琢己もフンビシと一緒に店をやっていくことになる。
予定調和的で、甘いといえばそうだが、外国人の問題を取り上げた劇としては、最上の部類だと思う。
唯、一つだけ希望を言えば、このジャンガリアンを見せてほしかったと、動物嫌いの私も思った。
紀伊国屋サザンシアター