梶君といって、梶芽衣子ではない、梶三和子さんである。
彼女は、大学2年の時の12月の公演『黄色い波』に出てもらったことがある。
どういう経緯で、出ることになったか知らないが、私は大道具のチーフだったので。
それは、広島を舞台にした一種の反戦劇で、彼女はある家の娘の一人だった。
当時は、まだ10代で、昼は証券会社に勤務し、舞台芸術学院を出て、役者をやっていた。
先日亡くなった前進座の志村智雄さんは言った
「彼女は小柄だが出ているところは、きちんと出ているね」
さすがに、新宿国際名画座の痴漢だった方のお言葉である。当時、同館は東京の痴漢の巣で有名だったそうだ。
だが、志村さんは、彼女の演技については大変に批判的だった。
「全く合わせないんだからね、参るよ」
私も、それは同意する。
彼女には、部屋の外から駆け込んで来るという場面があった。
その時、彼女は走りすぎて、舞台に二重を蹴っ飛ばしてしまい二重が動いて、一瞬床に落ちると言うことがあったからだ。
二重は結構重いものなので、動くことは普通はないのだが、彼女はけっとばしてしまったのだ。
それくらい思い入れの強い人なのだと思う。
テレビの『剣客商売』の第一シリーズで、山形勲の若妻のおはるを演じていたことを初めて知った。
結構、この頃は出ていたなと思った。
今は、もう70歳を越えているはずだが、どうされているのだろうかと一瞬思った。