1989年頃、中村とうようさんに、横浜のパシフィコ横浜のオープニングイベントで「ウォーマッド」をやりたいので、ご協力をお願いしたたいと頼みに行った。
すると、とうようさんは「役所に協力するのは嫌なんだ」と言った。
武蔵野会館のオープニングで、知合いの小島美子先生に頼まれて、ザイールのパパ・ウエンバを呼ぶことにした。
すると企画委員の人が「西アフリカの誰も知らないのを呼んで平気なのか」とマガジンまで来て詰問された。
「最後は、赤字が出たら俺が責任を取るよ」と言ったら、安心して帰って行った。
もちろん、ウォーマッドの時は、横浜市とパシフィコ横浜がきちんとやったので、ご機嫌だったが。